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幻想曲「戦場の花」

Fiori di Campo, Fantasia in 4 tempi
オレステ・カルリーニ 作曲/石村隆行 編曲
Oreste Carlini(1837.7.11 Tavarnelle Val di Pesa - 1902.10.12 Livorno)

  I. Capriccio(カプリッチオ)
  II. Imitazione Alla Mazurka(マズルカ風模倣曲)
  III. Andante Sostenuto(アンダンテ・ソステテヌート)
  IV. Marcia Trionfale(凱旋行進曲)

 作者はトスカーナワインの産地として知られる、サン・カッシアーノ、ヴァル・ディ・ペサの出身で、生地にはその名を冠した楽団が健在である(www.orestecarlini.it)。その生涯については詳しい資料がなく詳細が判明していないが、後年はピサの斜塔で知られるリヴォルノでリヴォルノ市守備隊附属軍楽隊長を長年務めた。

 石村隆行氏の調査では、作品には多くの吹奏楽曲の他に、5つのオペラやピアノ曲などが残されていると言う。特にその業績から推察されるように吹奏楽曲に力作が多く、当団でも演奏したことのある、序曲「アルフレッド・ カッペルリーニ」の他に今回演奏する「戦場の花」、「ガリバルディへの敬意」「24時の鐘」といった作品が残されている。マンドリンオリジナルでは「セレナーデ風ワルツ」なる作品が確認されている。またオザキ譜庫にはG.Guglierma編曲の「アンネッタのポルカ」という作品も所蔵されている。また、彼の二人の息子PilladeとCarloもそれぞれ作曲家で、多くの作品を残しているという。

 本曲は作者が72歳頃の作品で、フィレンツェのA.ラピーニ社主催の作曲コンコルソにて入賞した作品で、4つの楽章から成る規模の大きな作品。「戦場の花」と翻訳されているが、直訳すると「野の花」という意味にもなる。カルリーニが生きた19世紀後半のイタリアは1861年の統一以来、イタリア王国として、1866年の普墺戦争でヴェネツィアを獲得、1871年の普仏戦争ではローマを併合、同市を首都として遷都するなど、進撃を続けており第一次エチオピア戦争での敗退はあるものの、領土拡大を続け、戦意が大いに高揚していた時代だったであろう。「戦場の花」とはどんな意味であろうか。筆者の調べた範囲では、当時は騎兵隊を賞して「戦場の花」と称することもあったようであるし、衛生兵や従軍看護婦のこともこのような呼称で呼ばれたそうである。曲の諧謔性や破天荒な造りを思うと、何かひとつのものを指した呼称ではなく、士気を高揚させる音楽そのものとして、これを戦場の花と称したようにも思われる。いずれにしても、どの楽章も明るく覇気に満ちた響きで満たされており、当時の国威発揚の象徴音楽のように感じられる。第四楽章の凱旋行進曲は、アマディの「英雄行進曲イタリア」によく似た響きを持ち、当時の軍楽隊の音楽を代表する行進曲として格好の造形であった事が伺われる。
 作者の没後、リヴォルノ市は彼が住んでいた建物に記念碑を揚げ、追悼の意を表した。これは今でも大切に保管され見学する事が出来るそうである。

参考文献:同志社大学マンドリンクラブ第147回定期演奏会プログラム

第36回定期演奏会より/解説:Yon