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マンドリンオーケストラの為のちまた“CHIMATA”

(2008年改訂版)
歸山 榮治 作曲
Eiji Kaeriyama (1943.5.25 Ono〜)

 作者は1943年福井県大野市に生まれ、62年名古屋大学文学部入部と同時にギターマンドリンクラブに入部、一年後指揮者となった。 その後中田直宏氏に作曲を学び、クラブ内外で編曲を含め多くの作品を発表してきた。 またチルコロ・マンドリニスティコ・ナゴヤをはじめとして、大学・社会人のマンドリン団体を数多く指導しており、 現在日本マンドリン連盟中部支部理事、東海音楽舞踊会議運営委員長をつとめる。 作品は多岐に渡り、マンドリン合奏曲以外にも吹奏楽曲、邦楽曲、合唱曲、劇音楽、舞踊音楽など多くの作曲、編曲活動に携わっている。 近年では中国民族音楽やアボリジニに伝承される音楽などにも造詣を深めており、海外でもその作品は紹介されている。 1981年名古屋市芸術奨励賞授賞。マンドリン合奏以外ではギター合奏に継続的な作品が書き下ろされており、現在10数曲を数えている。

 本曲は名古屋大学ギターマンドリンクラブの委嘱により作曲され、1985年に初演された。 以後、1987年に大阪大、明治学院大で演奏された以外には、同年の「帰山栄治 作曲の世界 その2」で後半部分(後述する「祭り」)が抜粋で 演奏されたのみであり、実に22年ぶりの演奏となる。今回、演奏させて頂くにあたり、帰山氏に連絡を取ったところ、 写譜ソフトによる浄書と同時に若干の改訂を加えて頂き、2008年改訂版として演奏させて頂くこととなった。 今回の変更箇所は、ほぼマンドローネに対するもの。コントラバスあるいはマンドロンチェロとのユニゾンパッセージを増やし、 マンドローネによるアタックの強調をもって、よりリズムを明白化する方向に改訂されている。

 「ちまた」とは「巷」のことであり、本曲のテーマは、ちまたで日々生活する人々(庶民)のエネルギー、バイタリティーに対する敬意、である。 庶民の持つエネルギー感を最も象徴的に表出するものとして、「祭り」はその代表的なパフォーマンスであり、それは、後半部から最後まで 延々と続く祭りのリズムに表現されている。この「祭り」部分に関しては、「阿波踊り」が念頭にあったようではあるが、 現在の多くの祭りに見られるように「観光化」されたものではなく、もっと原始的で素朴なエネルギーの発散を求められており、 執拗な繰り返しとともに、何か「狂気」をも連想させられる。

 又、「祭り」の前には、各パートのsolo(or soli)が順次受け継がれて奏され、それはいつしかマンドリンとマンドラによる三重奏となり、 そこを切り裂くかのようにtuttiが打ち込む。これは、帰山氏が、熱田神宮の「薪能」を観劇された際にインスパイアされたもので、 各パートsoloから三重奏は熱田の森の夜の静寂、そこに打ち込むtuttiは「大鼓(おおづつみ、おおかわ)」の「カン」と言う音の響きの表現である。 この部分の「間(ま)」の感じ方は演奏上実に難しい。

 本曲を作曲した頃は、シンセサイザーを使って、主にコンテンポラリーダンス(現代舞踊)のための音楽を集中的に作っており、 本曲は、これらの音楽との内面的な共通点があるとのこと。と言うことは、自分の一連のマンドリン合奏曲の中では、かなり「異質な」部類の作品 であるとも言える、と言う事を筆者は帰山氏からお聞きしている。 が、筆者は、帰山氏が語られているところの「異質な」点(筆者はこの曲を最初に聞いたとき、プログレッシブ・ロック?と思った)を大いに 感じつつも、昨年演奏させて頂いた「Ouverture Historique No.4」を集約点として、又、違う流れを流れ始めた=“生きる”ことへ スポットを強めた=帰山氏のマンドリン合奏曲の中の1つであると言う想いを持っている。

 なお、本曲では、世にも珍しいマンドローネによるsoliを聞く事が出来る。 マンドローネを持たぬ団体が多い昨今、それが故、この曲の再演を難しくしていると共に、 帰山氏の並々ならぬマンドローネへの愛情を伺うことが出来る。

参考文献:
 参考文献:帰山栄治普及振興協会編『帰山栄治作品解説集』

第37回定期演奏会より/解説:えぞ