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アヴェ・マリア

Ave Maria
イシドロ・アンジェロ・フィリオリーニ 作曲/石村 隆行 編曲
Isidoro Angelo Figliolini (1878. 8. 24 Vercelli - 1955. 7. 23 Vercelli)

 作者はイタリアの作曲家、ヴァイオリニストで、N. RavazzaniおよびA. Laninoに師事した。1923年から35年には生地ヴェルチェリのヴィオリッティ音楽院で教鞭をとり教育者としても多くの弟子を輩出した。ピアノやヴァイオリン以外にもマンドリン、ギター、ハープなども演奏し撥弦楽器に情熱を傾け、演奏者、指導者として広く知られる存在であった。また、門下生を中心とした合奏団「Complesso a plettro' Figliolini'」を結成し、生地を中心に活動を行った。作品には著名な3幕の歌劇「古城の物語」(後年改作改題で「抒情歌劇〜シュヴァルツェンベルクの城」として再演)をはじめとして、1890年代後半から1930年代にはしばしばIL CONCERTO誌IL MANDOLINO誌に小編成の美しい合奏曲を発表した。

彼はまた、舌鋒鋭い論客としても知られ、特に1907年にマンドリン雑誌IL CONCERTO上で行われたC. ムニエルを中心とした論戦に関わっていたことは有名である。これはムニエルの「コンサート楽器としてのマンドリン」という文章に呼応して行われたものであるが、そのなかでフィリオリーニは次のように述べている(訳文は武井守成氏によるが、文字遣いを現代的に改めた部分がある)。

 「マンドリンはコンサート用の楽器として独特のレパートリーを持ち得べくまた持たねばならぬものである」ムニエル教授はこう断言(中略)。余は(中略)これに反対の意見を持っている者である。(中略)しかる故にマンドリン演奏家がヴァイオリンのレパートリーに走る事はヴァイオリン曲の優に敵対し得るマンドリン曲の絶対的欠乏を見ている間は当然のことであると考える。(中略)余は敢えて問う。マンドリンが一つの低級楽器として認めらるる事を如何にして拒み得るか。ムニエル教授!余もまた久しき間マンドリンを他の楽器と同一水平線上に持ち来たらしむべく努力しつつあるものであるがいかんせんその欠陥は正にそのネックにあることを思わせる。余らは相共に「改善」を叫ばなければならない。(後略)

 この文章は(特に近代マンドリン音楽の父と呼ばれるムニエルへの評価と並んで語られることが多いために)マンドリンのオリジナルのレパートリーに対する否定的な見解、およびマンドリンに対する批判的な意見と捉えられることが多い。しかしながら詳細を見ると、理想主義的なムニエルに対して現実的な視点で警鐘を鳴らし、継続的な発展の必要性について説いたものであると見るのが妥当である。実際にはムニエルとフィリオリーニは、特に近代マンドリン音楽が土台の完成から新しい方向性への変化を遂げつつある時代にあって、異なる視点から同じ方向を向いていたと考えることができるだろう。

 本曲は序奏のついた二部形式による小品で、作者の息子エルマンノに献呈されている。アヴェ・マリアとは「幸あれ、マリア」の意味で、元はこの言葉で始まる祈祷文を歌詞とした音楽作品であったが、後年には宗教的な素材を有する作品の表題としても用いられるようになった。オルガンのような優しいハーモニーの中、静かな第1の主題、やや情熱的な第2の主題がつづき、最後は消え入るように幕を閉じる。

参考文献:
「Album Philodolino 2」(石村隆行編集)
マンドリン事典(南谷博一著)
武井守成「マンドリン・ギター片影」
 (現在、マンドリンアンサンブル「フィオレンティーノ」のホームページ上で公開されている。

第37回定期演奏会より/解説:kiyota/Yon