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「まわき」(MAWAKI)(2009年改作版)

「まわき」(MAWAKI)(2009年改作版)
歸山 榮治 作曲
Eiji Kaeriyama (1943.5.25 Ono〜)

 作者は1943年福井県大野市に生まれ、62年名古屋大学文学部入部と同時にギターマンドリンクラブに入部、一年後指揮者となった。
その後中田直宏氏に作曲を学び、クラブ内外で編曲を含め多くの作品を発表してきた。
またチルコロ・マンドリニスティコ・ナゴヤをはじめとして、大学・社会人のマンドリン団体を数多く指導しており、 現在日本マンドリン連盟中部支部理事、東海音楽舞踊会議運営委員長をつとめる。 作品は多岐に渡り、マンドリン合奏曲以外にも吹奏楽曲、邦楽曲、合唱曲、劇音楽、舞踊音楽など多くの作曲、編曲活動に携わっている。 近年では中国民族音楽やアボリジニに伝承される音楽などにも造詣を深めており、海外でもその作品は紹介されている。
1981年名古屋市芸術奨励賞授賞。マンドリン合奏以外ではギター合奏に継続的な作品が書き下ろされており、現在10数曲を数えている。

 本曲は、金沢大学マンドリンクラブの委嘱により1984年に作曲された。初版時の構成にはマンドローネが含まれていなかった為、今回の演奏にあたり、当団の編成に合わせてマンドローネの加筆をお願いしたところ、マンドローネの加筆は勿論のこと、多数のハーモニーの変更(パート間でのフレーズの入れ替えが多い)、繰り返しの指定追加(小節の追加)、シロホンのフレーズ変更、等、曲全面に渡っての変更が成されてのご提供を頂き、「既に”改訂”の域を超えており、”改作”と呼ぶのが適当」との作者のお言葉の元、今回「2009年改作版」として演奏させて頂くことになった。

 題名の「まわき」とは、能登半島の先端から少し内海に入ったところにある入江の奥に位置する地。この地において、1982年から1983年にかけて発見された、縄文時代前期から晩期にいたる集落跡の遺跡が、本曲の題材である「真脇遺跡」。
約6000年前から約2000年前まで、採集・漁撈の生活を営む集落があったものと考えられており、大量のイルカの骨が発見されていることから、イルカ漁がさかんに行われたと考えられている。
又、長さ2.5メートルもある巨大な彫刻柱、土偶、埋葬人骨、日本最古の仮面なども発掘されており、独特の縄文文化が形成されていたようである。

 曲は、あたかも縄文の時代へ誘うようなギターの刻みから始まる。
語られているのは縄文真脇の人々の生活。イルカ漁に代表される狩猟の躍動感、集団でのシャーマニズム的祈り、などを縦糸として、光と闇、生と死を横糸として織り成すことで表現されている。素朴であり、土着的であり、崇高であり、透明である。縄文の世を「たゆとうている」内に、曲は落ち着きを取り戻し、あたかも縄文真脇が遠ざかって行くかの如きdecresc.を介して、極めて柔らかく、静かに幕を閉じる。

 ”「傍観者的」或いは「よそ者的」な立場を取らず、「溶け込んで一体となった」という「目線」を忘れないで”

 上記は、本曲の作曲イメージを問うた筆者に対する、作者の回答であり、本曲の基本的・本質的な事である、との事。
「溶け込んで一体となった」=縄文時代へ身を振った後、想起されるイメージは指揮者・奏者によって色々であろうとも言われている(正確には「色々であって良い」・・・帰山氏の曲を演奏するにあたっては、筆者はこの類の質問を必ず氏にぶつけてみるのだが、それに対する氏のご回答は一貫しており、作曲時のイメージをご教示頂いた上で「作者のイメージはイメージの一つに過ぎず、指揮者・奏者のイメージで演奏してもらえれば」とお答えを頂いている)。だが、イメージは多々あれど、それを突き詰めていくと、結局行き着く先は、縄文とは現代日本人のルーツである、と言うことでは無かろうか?

 作者が本曲(の原版)を作曲されてから26年、その間、日本の、あるいは世界の情勢は考えられないくらいに変化しており、ましてや昨今の社会情勢は”激動”の一言で語ることを許されないくらいに日々変化している。
だが、「我々は日本人である」と言う事実は、何年経とうと変わることは無い。この時代に、もう一度現代日本人のルーツへ思いを馳せ、日本人であることを見つめ直してみる事は、決して無駄なことではあるまい、と筆者は考えるが、如何なものであろうか?

参考文献:
 帰山栄治普及振興協会編『帰山栄治作品解説集』
 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より「真脇遺跡」

第38回定期演奏会より/解説:えぞ