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ロシア序曲

РУССКАЯ УВЕРТЮРА (1945)
ニコライ パヴロヴィッチ ブゥダーシキン 作曲/歸山 榮治 編曲
Николай Павлович Будашкин (Nikolay Pavlovich Budashkin) (1910.8.6 Любаховке〜1988.1.31 Москве) / Rid. Eiji Kaeriyama

 作者は現在のカルーガ州にあるLyubahovkeの村に生まれモスクワで死去したロシアの作曲家。幼少期よりアマチュアのブラスバンドおよびロシア民族楽器オーケストラに親しみ、1929年にモスクワ州立の音楽学校に入学、1937年には作曲科を修了した。1945年から1951年までバラライカ奏者であるOsipovの名を冠する国立民族楽器オーケストラの指導助手を務め、そのオーケストラのために多くの作品を作曲した。1965年からはモスクワ州立芸術文化大学にて教鞭を取った。ロシア幻想曲、ドゥムカ、ロシア狂詩曲などの作品により、2度のスターリン賞を受賞。民族楽器のための音楽の他、映画音楽などに作品を残している。
 ロシアの民族楽器オーケストラはバラライカやドムラなどの撥弦楽器を中心に構成され、トレモロを比較的多く使用する表現方法など、そのサウンドはマンドリン合奏と通じるものがある。マンドリン音楽の発展のためには「大衆性」を有するレパートリーの充実が必要と考えた編曲者の歸山氏は、親しみやすい音楽としてこれらロシア民族楽器オーケストラのレパートリーに着目しその作品をマンドリン合奏に編曲する活動を行った。編曲活動を始めた後に歸山氏はモスクワへ渡航し、病床にあったブゥダーシキンを訪問した。既に本人との意思疎通は難しかったが、夫人にマンドリン合奏へ編曲した演奏の録音を披露したという。歸山氏によるロシア序曲の編曲には複数の版が存在するが、本日は後年再編曲されたクラリネットや打楽器を含む版を使用する。
 本曲は作者がOsipov記念国立民族楽器オーケストラに関わり始めた1945年ごろの作品であり、民族楽器オーケストラのために精力的に作品を発表する先駆けに位置する作品と考えられる。序曲という形式の中で軽妙さと憂愁の間を揺れ動くロシア音楽らしさが率直に表現されている。
 曲は再現部において第2主題が先に再現される、ロマン派のソナタ形式による。短い序奏の後、ヘ長調の第1主題が提示される。三拍子のこの主題はシンコペーションのリズムが特徴的で、途中に短調への転調を含みつつも軽快で明るい楽想をもっている。それに続く第2主題は拍子も二拍子に変え、嬰ヘ短調で憂いを含んで歌われる。この主題は楽節の中間に第1主題と共通の動機を有しており、2つの主題は完全に独立なものではない。再び主調で第1主題が奏された後には、主題の展開要素が少ない中間部が置かれている。再現においては第2主題が先に再現されるが、この再現は同主調ではなく平行調であるニ短調で行われ、それに先立つ属音保続部もニ短調への属音であるイ音にて行われる。一方第1主題は再現において同主調であるヘ短調に移調され、最後は物悲しく曲が終わる。2つの主題の調性対立とその変容というソナタ形式の楽式観を中心としつつも、再現においてはどちらかの調への集約ではなく互いに近づきあうという点に独自の美意識が見て取れる。

参考文献:
 Материал из Википедии ― свободной энциклопедии(ウィキペディア ロシア語版)
 http://ru.wikipedia.org/wiki/Будашкин,_Николай_Павлович

第41回記念定期演奏会より/解説:Kiyota