鬼火の踊り
(1976/1979)
松本 譲
Yuzuru Matsumoto(1928.8.4 Osaka〜1996.9.29 Kyoto)

  作者は1928年生まれ、1947年に同志社大学入学と同時にマンドリンクラブに入部、第1マンドリンを担当する。その後マンドラ、マンドロンセロ、コントラバスを習得した。学生時代よりマンドリンクラブ以外の管弦楽団や合唱団などに多数所属し、知識を深めていった。1964年には脱サラをして斯界に復帰、後進の指導だけでなく、作曲、編曲、資料収集と幅広い活動を始め、1968年には日本マンドリン連盟の結成にあたり、理事に就任した。1970年代後半からはフレット楽器オザキより、編曲集を継続出版し、今日全国のマンドリンオーケストラがレパートリに加えているであろう数多くの作品を紹介した。1986年には昨年当クラブでも演奏したU.ボッタキアリの、歌劇「影」大幻想曲が同志社大学で初めて取り上げられたが、本作品は氏の数多い編曲作品の中でも最高の傑作である。昨年9月29日そのあまりに早すぎる死は日本マンドリン界の巨星が墜ちた瞬間であり、その損失は甚だ大きなものと言わざるを得ない。
 氏の功績は京都教育大をはじめとした学生の指導や、作曲、編曲はもちろんの事、資料の収集と研究に特筆すべきものがある。所有した資料の量はおそらく日本で質・量とも最高のグレードのものであり、19世紀〜20世紀にかけてのイタリア斯界の資料では世界に類をみない完全なコレクションを有していた。そしてその成果は各種の出版社別リストや作曲家別リストをはじめとして几帳面にまとめあげられている。筆者は邦人作品の研究を通して、氏の資料の交換などを行ってきたが、その熱心さは到底及びもつかないものであり、筆者の研究の成果を氏のコレクションやリストに加えていただくのは望外の喜びでもあった。筆者の手元に残された資料に、氏の収集楽譜のすべてを収録した厚さ2センチにも及ぶ膨大な所蔵譜一覧があるが、今となってはこれら世界最高峰のコレクションが死蔵されず、良き後継者のもとに継承されていくのを祈るばかりである。
 本曲は作者の作品の中でも最も演奏機会の多い作品である。初演時にはティンパニが2組含まれた得意な編成であったが1979年の改訂で若干の手直しと共に1組に改められた。また本作はその後に木管楽器を含む2度目の改訂がなされた版も存在している。曲中には1/4,2/4,3/4,4/4,5/8,7/8,8/8の各拍子が目まぐるしく展開され息をつく暇もないほどであるがまた呆気ないほどに終わりを迎え小気味よいばかりである。

第25回定期演奏会より/解説:Yon


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