斎宮の記憶
(1990)
小林 由直
Yoshinao Kobayashi(1961.8.6 Yokkaichi〜)

 作者は1961年三重県鈴鹿市に生まれ、15才より作曲を始め田中照通氏に師事した。四日市高校・山口大学医学部を経て、現在内科医として三重県内に勤務。山口大学医学部時代にマンドリンクラブに入部、当時より指揮に作品発表にと活躍してきた、現在斯界で最も多くの秀作を世に問うている売れっ子作曲家である。年代的にも私たちと同時代の作曲家として、常にその作品は刺激的であり、かつマンドリンオーケストラの新たな可能性の扉を開くものとして期待を集めている。1985年には、「北の地平線」で日本マンドリン連盟主催『第4回日本マンドリン合奏曲作曲コンクールにおいて第2位を受賞した。当クラブでは1992年の「マンドリン協奏曲」、1995年の「音層空間」と2度に渡って作品を委嘱し、初演しており、そのいずれもが従来にない「新しい響き」を追求したものとして関係者の高い評価を受けている。
 氏の作品の多くは、美しく叙情的な旋律と現代的な和声、リズム感の素晴らしい統合で構成されており、演奏者の実力を問うものが多い。しかしながら、そうした技術的な整合性だけを追求していったのでは作品全体の抒情性や構築感を損なう危険性もはらんでおり、演奏バランスが難しい。
 本曲は1990年に皇學館大學マンドリンクラブの委嘱を受けて作曲したものの、同クラブが部員の減少などで初演を断念し、広島のプロムジカ・マンドリン・アンサンブルが初演を行ったという曰く付きの曲である。題名にある「斎宮」とはあまり一般的な単語では無いが以下のような意味がある。
 奈良時代から平安時代にかけて、天皇の皇女を伊勢神宮に遣わし、天照大神に仕えさせる習わしがあった。それを「斎王」と呼び、その斎王の住む場所を「斎宮」というので、斎王の事も斎宮と呼ぶようになった。
 こうした由来からもわかるように、本曲ではマンドリンオーケストラを用いて「雅楽」の響きを模倣している。特徴的なのは雅楽特有のいくつかの音響上の特徴の実験である。ひとつには前打音からポルタメント的に主音を引っ張り上げる奏法、そして西洋的な和声ではない不協和音的な響きを持ち、かつそれが逆説的に美しさを醸しだす「笙」の響きを模倣した多声部による無機的な同時発音。そして「琴」を模したギターのノンビブラートでかつテンションの高い奏法。(本日の演奏ではマンドリン系楽器でも声部を分けて同時発音数を増やし、残響音が他の声部と重なり合って初めて生まれる微妙な倍音の響きなども模倣している。)これらの試みが見事にマンドリンオーケストラから「雅やかな響き」を出す事に成功した初めてで、かつ希有な成功例である。(余談であるが久保田孝氏の曲に「イセアーナ」という初めてマンドリンで雅楽の響きを出したという触れ込みの作品があるが、本曲はそのはるか以前に、それを遥に越える密度の高い次元で雅楽とマンドリンの融合を果たしている事を付け加えておこう。)
 曲はギターが主題の原型を提示して始まり、他のパートはそのテンポと無関係に同じ原型を奏ではじめる。全パートが揃って曲は集中度を増し、激しいリズムにのって主部になだれ込む。途中無機的でソロイスティックな展開の後、ギターを中心として「ゆっくりとした時間の流れ」の中に主題が漂いだす。これは伊勢神宮の内宮を流れる河の流れのようにひたすらゆったりと流れていく。外界から宇治橋を渡った中はもはや神域である。曲は高揚と収斂を繰り返し、再び現実に引き戻すようなギターソロを境に、再び激しい流れが戻ってくる。我々現代人の中にも連綿と流れる古代の血が呼び覚ましたような原初的な高まりのあと、曲は静かに収まり、何事もなかったかのような空間が戻ってくる。まるで我々の中に流れる同じ日本人としての血が幻影を見させたかのように。

第25回定期演奏会より/解説:Yon


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