劇的序曲〜アレッサンドロ・ヴィッツァーリによる原典稿
Ouverture Dracmatique (1911)
アルリーゴ・カペルレッティ
Arrigo Capelletti (1877.1.16 Como〜1946.10.16 Como)

 作者はイタリアのコモに生まれ、同地に逝いた斯界の至宝的作曲家の一人。同地の音学院でポッツォーロ教授よりピアノ、オルガン、対位法といった基礎を学び、ボローニャのフィラルモニカではピアノと作曲法を、ミラノのヴェルディ音楽院では吹奏楽、オルガン、合唱といった課程を次々と卒業した。経歴からも推測できるように多様なジャンルに作品があるが、特にオルガン作品を得意とし、コモのフェデーレ教会のオルガニストにもなり、各地のオルガン曲コンクールでも度々入賞したという。また宗教音楽のジャンルにも優れた作品を残しており、殊に対位法を駆使したその作曲技法には自信を持っていたと思われる。また、生地コモの山々をこよなく愛し、かなり距離のあるミラノのスカラ座まで歩いて通ったという。
 斯界では同地の伝統あるマンドリン合奏団である『チルコロ・マンドリニスティカ・フローラ』の指揮者として活躍し、U.ボッタキアリも同団のタクトをとった事から親交が厚かったという。(この伝統ある合奏団はそののち、かのU.ゼッピに引き継がれ繁栄した)
 本曲は1911年のIl Plettro誌主催の第4回作曲コンコルソでS.ファルボの『序曲ニ短調』、N.ラウダスの『ギリシァ風狂詩曲』に並んで、第1位に入賞した作品。重厚長大な序奏部、うねるように濃厚な主旋律、曲を覆うように敷きつめられた対位法的展開などを特徴とした作品であるゆえ、当時の斯界ではややとっつきにくい印象を持たれたかもしれない。本邦では1928年に早くも同志社大学が取り上げている。
 なお、本日演奏する『A.ヴィッツァーリによる原典稿』は中野譜庫に所蔵されているもので、便宜上前述のような名前を付けたが、正式にそのようにアナウンスされたものではない。本稿は所謂出版前のマニュスクリプトの形式をとっており、随所にその後Il Plettroから出版されたものと異なっている点が見受けられるが、出版稿の後にこのようなマニュスクリプトが書かれたとは思えないことも、原典稿と称した所以である。大きな変更点としては
1. 第2主題再現部において主題提示部と同形による再現がなされている。
2. コーダの前段、加速していくブリッジの部分が4小節しかない。
というのが外観上気がつきやすい点であるが、他にもマンドラパートの8vaあるいはユニゾン化、第2マンドリンの伴奏0形の違い、ギターのシンコペーション時のタイの掛かり方の違い、第1マンドリンの旋律線の違いなどもあり、聴感上もかなり異質な印象を受ける事と思う。
 更に、本曲には下記にあげるいくつかの版の存在が確認されており、また同時に挙げた未確認の情報も錯綜していて、今後の研究や発見が待たれるところである。付記しておくと本曲が発表されたのが1911年であるにも係わらず、Il Plettroにより出版されたのが1926年である事を考えると、その間が15年もあり、何度となく演奏されていくうちに徐々に姿を変えていったとも思われ、厳密に何年の稿という風に作者自身が厳密に版を管理していたとは到底思えない。あるいは演奏されていくうちに演奏者の意見やコンコルソの演奏時間の関係などで、作者の意図せざる部分で改稿されていた事もありえるだろう。ちなみに出版譜においても練習番号Sが非常に短いのもこうした改訂の名残であろう。いずれにしても本原典稿において第2主題の再現部における爆発感、あるいは到達感といったものは得難いもので、この部分を聴くだけでも原典稿の価値について議論していただく材料となることは言えるだろう。

【確認された劇的序曲の稿】
1. 出版譜・・・・・・・一般に演奏されている版。Il Plettroにより1926年に発行されたもの。手元にある楽譜にはティンパニは含まれていないが、ティンパニ入りのものもあるようだ。 
2. A.Vizzari筆写による稿A・・今回使用するもので、第2主題の再現部は1回目と同様な長さ。コーダの前のブリッジは4小節。ドラは随所に(7〜16小節など)8vaがある。但しこれについては自筆かどうか疑問もあり、今回の演奏では8vaとのユニゾンで処理。
3. A.Vizzari筆写による稿B・・第2主題の再現部はあるが、コーダの前は出版譜と同じ8小節でティンパニが入るもの。京都のエルマノ・マンドリン・オーケストラが第25回定演で演奏。
4. A.Vizzari筆写による稿C・・Aと同様だが筆致が異なりドラの8vaの記述がない。途中までしかない。
〜以上のうち同志社大学中野譜庫には1,2,4が所蔵されている。

【以下は未確認或いは折衷版(複数の版を組み合わせたもの)と思われるもの】
1. コーダの部分に序奏部の旋律をホルンで重ねたもの・・実際に耳にした事はなく、噂の域を出ないものの複数の出所からその存在についての話が出ている。本曲に管弦楽版なるものがあるとすれば、そこから出てきた話と思われるが、その部分にだけホルンが入るというのはあまりに非現実的な話ではある。
2. 2稿を用いながらコーダの前が8小節あるもの・・・・・同志社大学が第114回定演で演奏した形。

 また、何度か名前の登場したAlessandro Vizzariは1900年に発刊された月刊マンドリン誌『Vita Mandolinistica 』(ボローニア)の主幹を1904年から担当した編集者で、自らもマンドリン合奏作品を残している。彼は自ら『Il Plettro』(ミラノ・1905年より)を刊行し斯界に多くの優れた作品を出版し、啓蒙する事になる。Il Pltettro は多くの作曲コンコルソも主催し、S.ファルボの『田園写景』やG.S.ミラネージ『サラバンドとフーガ』、L.メルラナ-フォークト『過去への尊敬』などを世に出した。本日演奏するU.ボッタキアリの『誓い』もまたそのうちの1曲である。
 
 曲は鮮烈なマンドリンの響きに導かれて冒頭より尋常ならざる雰囲気を醸しだす。この序奏部は途中にフガート風な展開を交えて、全曲の約1/3程の長さに及び、その重厚さと相まってアンバランスな事このうえない。第1主題(2/4 Allegro Vivace)は第1マンドリンの悲壮感漂うシンコペーションとそれに副次的な装飾をする第2マンドリンとマンドラ、そしてそれに応答する低音群の掛け合いとなっている。ここでは副次的な効果をほどこした第2マンドリンとマンドラのデュナーミクを如何に表現できるかで、狂おしい表現になるか、流れてしまうかが決してしまう。第2主題はやや明るめな主題である低音群がオルゲルプンクト的な低音を響かせており、これまた肉厚なロマンティシズムといえよう。ここでも内声部にあたるパートが非常に分厚い和声を形成しており、当時のプレクトラム作品にあってこうした音の重ね合わせの点でも特異性を発揮していると言えよう。その後展開部でも第1主題から派生したシンコペーション音形が全編を覆って多声感を助長している。第2主題の再現部は前述のように提示部の形式をそのまま再現しており充足感がある。この部分では第1マンドリンに改訂版とは異なる半音階なども出てくる。曲は高まりながらコーダに突入するが、コーダへのブリッジとなる部分は改訂版とは逆に半分の長さとなっている。コーダに突入した後は下降音形を加速させながら一気に終結する。曲の構成上は前述のように長大な序奏部のせいで、いびつな感は免れないが、当時の斯界にあっては異例なほどの重厚さと対位法的展開は新境地を切り開いたものと言えよう。この1910年前後にはS.ファルボ、U.ボッタキアリをはじめ濃厚なロマンティシズムに彩られた作品が多く生まれ、ともすれば近代音楽の発展からポツリと取り残されていたとも見られプレクトラム音楽が、遅ればせながら爛熟したロマン派の終焉の時代を必死に追いかけていた時代であったとも言えるだろう。

第26回定期演奏会より/解説:Yon


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