詩的幻想曲「誓い」〜Alessandro Vizzari手写譜による〜
"Il Vote" Fantasia Romantica per Orchestra Mandolinistica (1910)
ウーゴ・ボッタキアリ
Ugo Bottacchiari (1879.3.1 Castelraimondo〜1944.3.17 Como)

 作曲者はマチェラータのカステルレイモンドに生まれ、同地の工業高校で数学と測地法を学んだが馴染まず、幼少より好んでいた音楽に傾倒していった。そしてピエトロ・マスカーニ(歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」で著名)の指導下にあるペザロのロッシーニ音学院に入学し、厳格な教育を受けた。師マスカーニからは直々に和声とフーガを学んだという。1899年にはまだ学生であったが、歌劇「影」を作曲し、マチェラータのラウロ・ロッシ劇場で上演、成功を収めオペラ作曲家としての好スタートを切った。卒業後はルッカの吹奏楽団の指揮者や、バチーニ音学院で教鞭をとるなどしつつ、管弦楽曲、歌劇、室内楽曲、声楽曲、マンドリン合奏曲など数多くの傑作を表し、諸所の作曲コンコルソで入賞した。殊に「ジェノヴァ市に捧げる四楽章の交響曲」は金碑を受賞した。(この曲はその存在が早くから知られていたが、石村隆行氏の努力によって本邦にもたらされた事は記憶に新しい。)

 斯界へは多くの秀作を残しており、斯界の至宝「交響的前奏曲」、詩的セレナータ「夢!うつつ!」をはじめ、多くの合奏曲、独奏曲を残した。また渡伊した石村隆行氏により埋もれていた歌劇の一部分(「セヴェロ・トレッリ」、「愛の悪戯」、「ウラガーノ」等1920〜30 年代の作品が多い)が編曲され、本国でさえ日の目を見ないにもかかわらず、熱心な本邦のファンの心をとらえている。そしてボロニアで発行されていた斯界誌「Il Concerto 」の主宰者にもなり、1925年には本日もその作品を取り上げているA.Capellettiのあとを継いで、コモのチルコロ・マンドリニスティカ・フローラの指揮者に就任し、プレクトラム音楽の華やかなりし時代の先導者であった。本曲は1910年10月のIl Plettro誌主催の作曲コンコルソでS.ファルボの『田園写景』、L.メルラナ-フォークトの『過去への尊敬』と並んで1等に推された作品。『Il Voto 』というタイトルの邦訳についてはいろいろな名訳、謎訳が聞こえてくるところだが伊和辞典(小学館・伊和中辞典)によると、" Voto "の意味として、1)投票、2)成績、3)誓い、誓約、4)供物捧げ物、5)(祈りにも似た)願い、とある。なるほど過去どこぞの演奏で、『選挙』とかという訳をしてくれたのはこういうところに起因しているのであろう。(それにしても、どこの馬鹿がこういう曲を聴いて『選挙』って書くかねぇ?)作者が本曲で意図したところのものは『神聖なる誓い』というよりも、もっと世俗的でセンチメンタルな『願い』のほうであったと考えるほうが、作者の他の作品の出自などを考えると自然であろう。むしろ『願い』というよりももっと生々しい、愛欲の世界を描いたのだと筆者は考える。唐突な高まり、底からわき出るように上昇していく音形は、スクリャービンのそれとはまた異質ではあるが、エクスタシーそのものを描いていると取れなくもない。ボッタキアリはこうした衝動的な音楽を書く事にかけては本能的な天才であったと思う。こうした作品は上っ面を整えて、やれトレモロの回数がどうのこうの、という常識的な解釈は通用しない。デュナーミクもテンポも身体の奥底から湧いてこなくては、曲にねじ伏せられてしまうのだから。指揮者も奏者も聴衆の皆さんも『羞恥心』を捨てて、自らの心の中に潜む『エロス』や『パトス』をさらけだしてぶつかって始めて作品の中から何かが現れてくると思う。

第26回定期演奏会より/解説:Yon


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