第一序曲 或る田舎祭りにて
Quverture No.1 "Ad una Festa Campestre" (1930)
ジュゼッペ・シルレン・ミラネージ作曲/中野 二郎 編曲
Giuseppe Sirlen Milanesi (1891.3.26 Bottarone〜1950.12.4 Milano)

 作者はパドヴァの南方のボッタローネに生まれた。ミラノの音楽学校で研鑽を積んだ後、所々の音楽コンコルソなどで入賞し、その作品は数多くが残されている。奏者としての専攻がヴァイオリンであり、主たる作品は管弦楽にあると思われるが、プレクトラム音楽の世界でも新進気鋭の作曲家として注目を浴びた存在であった。1921年、アレッサンドロ・ヴィツァーリ主宰によるイル・プレットロ誌の作曲コンコルソでは第一部門の「プレクトラム四重奏」の部門で『ト調の四重奏曲』で第三位、第三部門の「マンドリン独奏曲」では『サラバンドとフーガ』が第一位、続く1923年のコンコルソでは四重奏曲の部門で『春に寄す』が第一位と、大いに気を吐いている。殊に作者の財表作でもある『サラバンドとフーガ』はマンドリン無伴奏独奏曲は後の独奏作品に技術的側面から大きな影響を及ぼしたといわれる。
 1969年に同志社大学マンドリンクラブを卒業し、後にイタリアで声楽家として活躍している岡村光玉氏は留学間もない頃、300冊ものイル・プレットロ誌を入手したが、1926年の9月号に発表された作曲コンコルソの受賞曲の中に、第三位として、G.S.ミラネージの『Ouverture Festoso 』とあることを発見した。この曲の行方は未だつかめていないのであるが、同じ作者の1930年の小作品に第一序曲が確認され、年代的にも近い事や他の作品の作品番号や作曲年代から推測して本作品が未だ発見にいたらない前述の受賞曲ではないかとの見解を示した岡村氏は苦労の末、ミラネージ未亡人を探し当て、多くの未知の作品と資料を得ることが出来たのであった。このような経緯を持ってこの曲は海を渡り、はるか東洋の小国で、中野二郎氏の編曲によって、新たな生命を与えられるにいたったのである。
 作品は夜明けを思わせる静かな序奏にはじまるが、やがて賑やかな収穫の祭りを思わせるAllegro が始まる。第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンに交互に現れる上昇音階などはあたかもプレクトラム作品が基になっていることを想起させて楽しいものである。ミラネージ独特のユニークな和声感覚や、大胆な転調などのイマジネーションにはやや乏しいが、もっと取り上げられてもよい佳曲である。編曲はマンドリンオーケストラの特性を生かしきれているとは言いがたいが、手堅いものである。

第27回定期演奏会より/解説:Yon


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