Elegia〜悲歌
(2000)
小林 由直
Yoshinao Kobayashi (1961.8.6 Suzuka〜)

 作者は1961年三重県鈴鹿市に生まれ、15才より作曲を始め田中照通氏に師事した。四日市高校・山口大学医学部を経て、現在内科医として三重県内に勤務。山口大学医学部時代にマンドリンクラブに入部、当時より指揮に作品発表にと活躍してきた、現在斯界で最も多くの秀作を世に問うている売れっ子作曲家である。年代的にも私たちと同時代の作曲家として、常にその作品は刺激的であり、かつマンドリンオーケストラの新たな可能性の扉を開くものとして期待を集めている。1985年には、『北の地平線』で日本マンドリン連盟主催、『第4回日本マンドリン合奏曲作曲コンクールにおいて第2位を受賞した。当クラブでは1992年の『マンドリン 協奏曲』、1995年の『音層空間』と2度に渡って作品を委嘱し、初演しており、そのいずれもが従来にない「新しい響き」を追求したものとして関係者の高い評価を受けている。

 氏の作品の多くは、美しく叙情的な旋律と現代的な和声、リズム感の素晴らしい統合で構成されており、演奏者の実力を問うものが多い。しかしながら、そうした技術的な整合性だけを追求していったのでは作品全体の抒情性や構築感を損なう危険性もはらんでおり、演奏バランスが難しいのは言うまでもない。近年は「風の」シリーズ、や「森の精霊」などの作品で透明感ある響きにますます磨きがかかり、改めて作者の音楽が高度な技術に裏付けられた精緻な世界を築きつつあることを実感させる。

 本曲は2000年3月にアルス・ノヴァ・マンドリンオーケストラによって初演された作品で、 早くも全国の団体によって再演が相次いでいる。氏の作品の中でも最も純度の高い静謐なロマンティシズムの表現は、ある意味で、20世紀初頭のアルヴァン・ベルクやアーノルド・シェーンベルグの初期の耽美的な小品にも通ずるものである。マンドリン・オーケストラにしか描けない「墨絵」の世界を連想させるモノトーンで統一された響きは、彼岸のそれを思い起こさせるものであろう。中間部で全18パートに分割された弦楽はそれぞれが独自の嗚咽や落涙の姿でありながら一つの集合体として「念」を形作る。こうした「念」はやがてふたたび一つの「願 い」に収束していき、収斂度の高い高次の「祈り」へと昇華していく。そこには「残されてし まった人たちからの祈り」と「残さざるを得なかった人たちからの嘆き」という一見アンビヴァレンスだが、表裏一体とも言える思いが一つになった「思いの空間」が現出している。マンドラによる諦観的な旋律とその反行形と目される副次音形の組み合わせは、まるで潮の満干のように響き、細分されたマンドリン群の中からかそけく響く Fis音から E音への下降二度音形 はグスタフ・マーラーが晩年の第九交響曲や「大地の歌」で用いたewig...(永遠に...)というモチーフを彷彿とさせ、筆舌に尽くしがたい美しさである。曲は雲間に消えて行くように空間と同化していつまでも余韻を響かせたまま遠ざかっていく。

【作曲者による曲目解説】

 この作品は、細かく分かれるパートからトレモロにより発せられる一つ一つの音の粒が、あたかも霧のように細かい水滴のひとつひとつをあらわすようなイメージで作りました。これらの音はピックの先から絶え間なく点描で奏でられていますが、全体としては静謐な空間を形作 り、決してドラマチックに動くことはありません。感情を表に出さず、むしろこみ上げる感情をじっと抑えて静かにむせび泣くような表現を敢えて求めることで、より深い想いを表現しようと試みました。多くの声部のそれぞれのトレモロが集まって形作られる音響効果は、ヴァイオリンの弦楽オーケストラでは得られない独特の世界だと思います。なぜなら、ここに拡がる 情景は点描画であり、線では表現できないものだからです。どこか儚げな、霧のような雨が静 かに降っている・・・そんな感じでしょうか。透明な、すこし哀しみを帯びた曲想から「EL EGIA」と名づけました。

 しんと静まり返った時間に、若くして音楽を続けることができなくなってしまった仲間達の ことを思いながら一気に仕事をしました。

第29回定期演奏会より/解説:Yon


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