「歴史的序曲第6番」
Ouverture Historique No.6(2001)
歸山 榮治
Eiji Kaeriyama(1943.5.25 Ono〜)

 作者は1943年福井県大野市に生まれ、62年名古屋大学文学部入部と同時にギターマンドリンクラブに入部、一年後指導者となった。その後中田直宏氏に作曲を学び、クラブ内外で編曲を含め多くの作品を発表してきた。またチルコロ・マンドリニスティコ・ナゴヤをはじめとして、大学・社会人のマンドリン団体を数多く指導しており、現在日本マンドリン連盟中部支部理事、東海音楽舞踊会議運営委員長をつとめる。作品は多岐に渡り、マンドリン合奏曲以外にも吹奏楽曲、邦楽曲、合唱曲、劇音楽、舞踊音楽など多くの作曲、編曲活動に携わっている。近年では中国民族音楽やアボリジニに伝承される音楽などにも造詣を深めており、海外でもその作品は紹介されている。1981年名古屋市芸術奨励賞授賞。マンドリンアンサンブル「Eschue」主宰。マンドリン合奏以外ではギター合奏に継続的な作品が書き下ろされており、現在10数曲を数えている。
 本曲は2001年、名古屋大学ギターマンドリンクラブ第44回定演において初演された、氏の近作である。Ouverture Historiqueの系譜は80年以降ほぼ10年に一曲のペースで書きつづられてきたが、時代の変遷や氏の作風の変化とともにその変容が伺える氏のライフワークの一つと言えよう。
 この作品群は、その中核に“現代社会の人間疎外の憂鬱の中で『人間の持つ宿命的な淋しさ』をしっかりと見つめいかにして人間らしく生き抜くか”という思想を内包しながら30年に渡り連綿と書きつづられた一人の孤独な音楽家の自画像であると言えるだろう。『不安と混沌』に彩られた初期のOuverture Historiqueと第2番、途中過渡期とも言える『旋律とリズムの有機的統合』を指向した第3番、『強い生命力や意志の力』を感じさせながらも、ある種、抗えないものへの寂寞としたニヒリズムが滲み出て、オスティナートが執拗に繰り返される第4番、達観の境地に近づいて『内在する魂の追求』から、純粋に『音楽』そのものの持つ力を伝えようとストレートな表現が展開される第5番と変容してきたこの作品群は、21世紀に至って、より余分な要素をそぎ落として、再び本来指向していた方向性である『切り開く』という意味合いをより強く感じさせる事になった。本曲と同時期に『Fragrance-β』というこれまた初期の帰山作品を強く感じさせる作品が書かれているが、本曲とともに氏の作品は再びその根源的命題である『人間らしさ』の追求に向かっている。
 本曲は半音階の下降と上昇による空虚で実態のない不安げな開始から、すぐにその音形と、同じテーマを二倍に伸長した音形の組み合わせで混沌を助長していく。一旦収まったあと、すぐにAllegroに突入する。しかしこのAllegroの旋律はかつてのOuverture Historiqueのように向こう見ずではない、抑制の効いた力の鼓舞ともいえるかもしれない、曲はAllegroの中で本曲の中心主題を提示する。この主題は我々帰山作品を愛するものからは懐かしいものに出会った事を感じさせるものに違いない。一端終息したAllegroの後にくるのは氏が中期の作品でしばしば間奏的に挿入する綺想曲的なフレーズである、『3楽章第4番』の第2楽章によく似たそれは、ここではより純粋に2つのAllegroをつなぐブリッジ的な役割を与えられている。2度目のAllegroを経た先には、本曲の神髄といえる氏の天啓的な響きの洪水が待っている。この2つめの主題こそが本曲をOuverture Historiqueの系譜として成功たらしめている部分である。『序曲』『劫』『3楽章第3番』いずれにも通ずるこの響きこそが帰山作品の本質である。『人間らしさ』の追求を強く表出したこの部分に我々は強く惹かれ感情を共有する事ができる。しかし残念ながらここから先、氏は力尽きてしまったのか、突然曲を早々に終了させようとしたかのように終結へ急ぐ。謎である。力のベクトルが突如別の方向に向いてしまったかのようにさえ感じさせるのである。ぜひ改作で納得のいく答えを出していただきたいものである。

第30回定期演奏会より/解説:Yon


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