前奏曲「デラ・カルソン」
Preludio "Della Carson" (1908)
ウーゴ・ボッタキアリ
Ugo Bottacchiari(1879.3.1Castelraimondo〜1944.3.17 Como)

 作曲者はマチェラータのカステルレイモンドに生まれ、同地の工業高校で数学と測地法を学んだが馴染まず、幼少より好んでいた音楽に傾倒していった。そしてピエトロ・マスカーニの指導下にあるペザロのロッシーニ音学院に入学し、厳格な教育を受けた。師マスカーニからは直々に和声とフーガを学んだという。1899年にはまだ学生であったが、本歌劇「影」を作曲し、マチェラータのラウロ・ロッシ劇場で上演、成功を収めオペラ作曲家としてのスタートを切った。卒業後はルッカの吹奏楽団の指揮者や、バチーニ音学院で教鞭をとるなどしつつ、管弦楽曲、歌劇、室内楽曲、声楽曲、マンドリン合奏曲など数多くの傑作を表し、諸所の作曲コンコルソで入賞した。殊に「ジェノヴァ市に捧げる四楽章の交響曲」は金碑を受賞した。(この曲はその存在が早くから知られていたが、石村隆行氏の努力によって本邦にもたらされた事は記憶に新しい。)
 斯界へは多くの秀作を残しており、瞑想曲「夢の眩惑」、ロマン的幻想曲「Il Vote」、詩的セレナータ「夢!うつつ!」をはじめ、多くの合奏曲、独奏曲を残した。また渡伊中の石村隆行氏により埋もれていた歌劇の一部分(「セヴェロ・トレッリ」、「愛の悪戯」、「ウラガーノ」等1920〜30年代の作品が多いが、昨年、出世作『影』より交響的前奏曲が同じく石村氏の手により編曲された)が編曲され、本国でさえ日の目を見ないにもかかわらず、熱心な本邦のファンの心をとらえている。そしてボロニアで発行されていた斯界誌「Il Concerto」の主宰者にもなり、1925年にはA.Capellettiのあとを継いで、コモのチルコロ・マンドリニスティカ・フローラの指揮者に就任し、プレクトラム音楽の華やかなりし時代の先導者となっていった。
 作品の多くは時代遅れの後期ロマン派風の分厚い和声と情緒連綿たる旋律に彩られ、斯界に多くの信奉者を生んでいる。常識的に考えれば時すでに1910〜20年代と言えばウィーンではA.ベルクやA.シェーンベルクがドデカフォニーを生み出し、ロシアではA.スクリャービンが神秘和音などを駆使してして調性の概念をなくそうとしていた時代であった。しかしイタリアではヴェリズモの運動が盛んでロマン的な音楽からの脱却がなされなかったのであった。その中でボッタキアリは師マスカーニの影響と傾倒したR.ワーグナーの影響を感じさせる作品を書き続けたのである。彼の最後のオペラである1936年作の『ウラガーノ』でも時代は二つの大戦にはさまれた不安定な時期であった事もあってか重苦しい雰囲気と色濃いロマンティシズムに満ちたものである。
 本作はボローニアの出版社、コメリーニから発刊された16冊に及ぶ、Il Concerto誌の作曲コンコルソ入賞曲集の第11集に収載された小品である。題名はアメリカの美女、デラ・カルソンの名前をそのまま冠しているが作者との関係は不明である。マンドリン合奏の他、管弦楽のためのスコアも存在している。曲はピアノを中心に作者ならではの、熱情的な旋律が終始綴られたもので、短いながらも印象的な作品と言えよう。

第31回定期演奏会より/解説:Yon


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