ハ短調の序曲
(1969)
歸山 榮治
Eiji Kaeriyama(1943.5.25 Ono〜)

 作者は1943年福井県大野市に生まれ、62年名古屋大学文学部入部と同時にギターマンドリンクラブに入部、一年後指導者となった。その後中田直宏氏に作曲を学び、クラブ内外で編曲を含め多くの作品を発表してきた。またチルコロ・マンドリニスティコ・ナゴヤをはじめとして、大学・社会人のマンドリン団体を数多く指導しており、現在日本マンドリン連盟中部支部理事、東海音楽舞踊会議運営委員長をつとめる。作品は多岐に渡り、マンドリン合奏曲以外にも吹奏楽曲、邦楽曲、合唱曲、劇音楽、舞踊音楽など多くの作曲、編曲活動に携わっている。近年では中国民族音楽やアボリジニに伝承される音楽などにも造詣を深めており、海外でもその作品は紹介されている。1981年名古屋市芸術奨励賞授賞。マンドリンアンサンブル「Eschue」主宰。マンドリン合奏以外ではギター合奏に継続的な作品が書き下ろされており、現在10数曲を数えている。
 氏の作品は、その中核に=現代社会の人間疎外の憂鬱の中で『人間の持つ宿命的な淋しさ』をしっかりと見つめいかにして人間らしく生き抜くか=という思想を内包しながら、時代を反映しつつ、また氏自身の内省を伴って熟成を重ねてきた。

 本作品は氏の作品としては最初期のもので、氏26歳にして、初めての大作である。当時の斯界は現代邦人作品の萌芽を迎える以前の黎明期であり、中野二郎氏が本格的にイタリア系作品を編曲し、同志社大学を通じて世に出し始めて間もない時代であり、また鈴木静一氏が映画音楽の世界から斯界に復帰し、大作を発表し始めた時代でもある。各地で大学のマンドリンクラブが隆盛を極め始めた時勢とも符合して、この数年を端緒として、約15年にわたり幾多の優れた作曲家による優れた作品が多く生まれていく。当時の社会情勢を見ると、ベトナム戦争やキング牧師殺害による黒人暴動の多発などが国内にも影響し、翌年には日航よど号事件が起きるなど、不安定な空気が蔓延していた時代でもある。そのような中で生まれた本作は、S.ファルボ・ジャングレコの「序曲ニ短調」やG.マネンテの序曲「メリアの平原にて」など当時頻繁に演奏されていたイタリアオリジナル作品の強い影響を感じるものとなっている。しかしながらそこに内包されたものは遥かに陰鬱であり、当時の世情からくる暗澹たる将来への不安や、一種のニヒリズムに支配された若者の内面を描いている。ギターの完全五度の和音で始まる部分から第一主題にいたる部分において、既に虚ろな響きが蔓延しており、第一主題に突入してもなおその不安な印象は変わらないが、主題はより攻撃的でかつ焦燥感に満ちている。一端収束したあとに低音部によって示される下降旋律の第二主題には、不安や苦悩がより痛切に表出されている。途中『天上の音楽』と称される中間部では、これらの不安感から逃避し、かりそめの至福に酔う姿も描かれるが、それらはやはり激しい主題によって飲み込まれていく。第二主題は再度高らかに回想されるが、これもまた強烈なPrestoによって阿鼻叫喚の叫びに飲み込まれてしまい、何の明るい兆しも感じられないまま、その思考を打ち切られるかのように終結してしまう。当時の斯界において、この焦燥感に満ちた作品は強烈な印象をもたらしたであろうことは想像に難くない。現在に連なる氏の創造の原典がここにある。

第34回定期演奏会より/解説:Yon


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