マンドリン・オーケストラの為の「劫」(平成版)
(1974/1991)
歸山 榮治
Eiji Kaeriyama(1943.5.25 Ono〜)

 作者は1943年福井県大野市に生まれ、62年名古屋大学文学部入部と同時にギターマンドリンクラブに入部、一年後指導者となった。その後中田直宏氏に作曲を学び、クラブ内外で編曲を含め多くの作品を発表してきた。またチルコロ・マンドリニスティコ・ナゴヤをはじめとして、大学・社会人のマンドリン団体を数多く指導しており、現在日本マンドリン連盟中部支部理事、東海音楽舞踊会議運営委員長をつとめる。近年では中国民族音楽にも造詣を深めており、近作には中国民族楽器との融合を計った意欲的な作品がある。
 帰山氏の作品の根底には常に=現代社会の人間疎外の憂鬱の中で『人間の持つ宿命的な寂しさ』をしっかり見つめ、いかにして人間らしく生き抜くか=という音楽と人生の命題が連綿として流れており、こうした想いが現代社会の様々な圧迫の中に生きる私たちの心を厳しく諭し、またある時はやさしく包みこみ、なにか懐かしい、忘れていた時間と場所にふと立ち返らせてくれるような人間的な魅力に溢れているのである。
 本曲は1974年に金城学院大学の委嘱により作曲された帰山氏の作品の中でも最も深遠な作品のひとつである。(本曲の初演が女子大というのはちょっとした驚きである)1979年に改作、1981年には神戸の桑原康雄氏の以来で室内アンサンブル用に編曲されたが、1984年には再度名古屋大学GMC の指揮者であった池谷氏の手で再改訂された。そして今宵演奏するのは酒井国作氏がマンドラパートを分割し、オーケストレーションにも手を加えた平成版である。
 この曲を紹介するのには曲の進行を微細に述懐する前に、以下の名古屋大GMC 第31代指揮者である瀧博氏の示唆に富んだ文章を紹介してみよう。

『ヨーロッパの芸術は−(中略)−常に間隙を埋めるためにあった。彼らにとっては空白とは不安なのである。西洋史とは、思想の交替と民俗交替の仮借ない戦争の歴史であって、秩序というものは常に破壊されうる対象であり、(中略)、これらに対する不安を排除するためにも間隙は埋められねばならない。逆に日本人は、空白を大事にする。(中略)何百年来、変わらず移り行く自然、人も変わらない。この共通感情が焦点を一点に絞り、その裏に多くの暗示を含ませる事を可能にした。(中略)日本の音楽は、空白の中の一点にあり、言わば「間」の中にに「音」がある訳だ。西洋の音楽は音の中の休止としての間がある。この根本的な違いを無視して「日本的」云々を論ずるのは無理があるとしか言いようがない。帰山氏の「日本的」な音楽作品には、部分的ではあるがこの種の「音」が取り入れられている箇所が随所に出てくる。』
 曲は単一の楽章であるが『間』の音楽である前半部と一転して轟然としたリズムのめくるめく後半部に分けられる。静謐で予兆に満ちた響きの中からまずギターに本曲の『核』となる五・七・五・七・七のリズムが現れる。その後音楽はセロの印象的な増四度のリズムによって断ち切られる。前半部分はこの2つのリズムパターンにのって、『核』となる半音階的な主題が導き出され、執拗に繰り返される。一方、後半部はこの『核』となる主題が五・七・五・七・七の激烈なリズムにのって登場するが、混沌とした中には帰山氏の他の作品にも見られるような低音部から高音部への音形の受渡しのスケールも現れる。曲はクライマックスに向けて果てしなく高揚していくが、行き着いた先では再び静寂と情緒を取り戻して、何事もなかったかのように、無限の空間に収斂していく。殊に終結部分は近年の帰山作品に見られる一種独特の諦観にも似た、『深遠』に触れる瞬間である。
 本曲は帰山氏の作品の中で、最も『マンドリン・オーケストラ』という発音形態と『日本』的な音楽観にこだわった力作で、本曲を氏の最高傑作と評する人も少なくない。学生団体のマンオケという合奏形態へのこだわりや生活観の変化によって、こうした作品が顧みられる事は今後益々減少していくのかも知れないが、ここ東京では私たちこそがこうした『こだわり』をもった『本物』の『生きた』音楽を紹介していきたいと思う。

参考資料〜ASPEK編『帰山栄治作品解説集』

ウインターコンサート'95より/解説:Yon


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