「交響的前奏曲」
Preludio Sinfonico(1915)
ウーゴ・ボッタキアリ
Ugo Bottacchiari(1879.3.1Castelraimondo〜44.3.17 Como〜

 作曲者はマチェラータのカステルレイモンドに生まれ、同地の工業高校で数学と測地法を学んだが馴染まず、幼少より好んでいた音楽に傾倒していった。そしてピエトロ・マスカーニの指導下にあるペザロのロッシーニ音学院に入学し、厳格な教育を受けた。師マスカーニからは直々に和声とフーガを学んだという。1899年にはまだ学生であったが、本歌劇「影」を作曲し、マチェラータのラウロ・ロッシ劇場で上演、成功を収めオペラ作曲家としてのスタートを切った。卒業後はルッカの吹奏楽団の指揮者や、バチーニ音学院で教鞭をとるなどしつつ、管弦楽曲、歌劇、室内楽曲、声楽曲、マンドリン合奏曲など数多くの傑作を表し、諸所の作曲コンコルソで入賞した。殊に「ジェノヴァ市に捧げる四楽章の交響曲」は金碑を受賞した。(この曲はその存在が早くから知られていたが、石村隆行氏の努力によって本邦にもたらされた事は記憶に新しい。)
 斯界へは多くの秀作を残しており、瞑想曲「夢の眩惑」、ロマン的幻想曲「Il Vote」、詩的セレナータ「夢!うつつ!」をはじめ、多くの合奏曲、独奏曲を残した。また渡伊中の石村隆行氏により埋もれていた歌劇の一部分(「セヴェロ・トレッリ」、「愛の悪戯」、「ウラガーノ」等1920〜30年代の作品が多いが、昨年、出世作『影』より交響的前奏曲が同じく石村氏の手により編曲された)が編曲され、本国でさえ日の目を見ないにもかかわらず、熱心な本邦のファンの心をとらえている。そしてボロニアで発行されていた斯界誌「Il Concerto」の主宰者にもなり、1925年にはA.Capellettiのあとを継いで、コモのチルコロ・マンドリニスティカ・フローラの指揮者に就任し、プレクトラム音楽の華やかなりし時代の先導者となっていった。
 作品の多くは時代遅れの後期ロマン派風の分厚い和声と情緒連綿たる旋律に彩られ、斯界に多くの信奉者を生んでいる。常識的に考えれば時すでに1910〜20年代と言えばウィーンではA.ベルクやA.シェーンベルクがドデカフォニーを生み出し、ロシアではA.スクリャービンが神秘和音などを駆使してして調性の概念をなくそうとしていた時代であった。しかしイタリアではヴェリズモの運動が盛んでロマン的な音楽からの脱却がなされなかったのであった。その中でボッタキアリは師マスカーニの影響と傾倒したR.ワーグナーの影響を感じさせる作品を書き続けたのである。彼の最後のオペラである1936年作の『ウラガーノ』も時代は二つの大戦にはさまれた不安定な時期であった事もあってか重苦しい雰囲気と色濃いロマンティシズムに満ちたものである。
 生涯に渡り浪漫的な音楽に傾倒し続けたボッタキアリ、その作品の中で、瞑想曲『夢の眩惑』と並びマンドリンオリジナル作品の最高位に位置し、斯界の至宝として古くから愛好されているのが本曲『交響的前奏曲』である。ボローニアのIl Concerto誌から出版された作品で、骨組みのしっかりした構造と重厚な和声に支えられた大曲である。全体を貫く1つの主題が強い主張を持ったまま様々に姿を変え、時には激しく、時には幽玄に繰り返される様はまさに作者の面目躍如といったところであろう。当時は大人数であっても今日のマンドリンオーケストラよりも低音の薄い編成が多かったと思われるが、本曲の素晴らしさはどのような編成であっても、その編成に応じて様々な方向から光が当たるとそれに応じて輝くプリズムのように、様々な魅力を生み出すところにある。指揮者によって、合奏団の人数、音色、奏法、テンポあらゆる要素によって全く違う側面を見せてくれるという点で他に類を見ない作品と言うことが出来よう。
 本日の演奏にあたっては中には重厚すぎると嫌う人もいるかもしれない。しかしながら本曲が彼の晩年の作品に通じるクロマティックな進行などフルオーケストラを鳴らしきってこそ現れるこの巨大なプリズムのある一方向からの最もすばらしい輝きを持ってコンコルディア最高の響きが鳴り渡っている事を確信するものである。これは筆者の当団での指揮生活15年のすべてを込めた演奏である。
 蛇足であるが、本曲が収載されたIl Concerto誌刊行のウーゴ・ボッタキアリ作品全集には本曲を含め38曲の彼の作品を見ることが出来る。すばらしいこの作品集が日本でぜひ復刊される事を切に願ってやまない。

第30回定期演奏会より/解説:Yon


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