組曲「シエナ」
Suite Senese in tre tempi 〜 per orchestra e plettro(1948)
ヴィットリオ・チェルライ
Vittorio Cerrai(1884.8.31 Terricciola 〜 1949.1.2 Firenze)

1.祭りの日の街の賑わい Contrade in Festa
2.ロマン的挿入曲 Parentesi Romantica
3.パリオ(競馬競技) Il Palio

 作者は1884年イタリア・トスカーナ州のテルリッチォーラ(ピサの南東に位置する)に生まれ、1949年フィレンツェにて逝去した作曲家・吹奏楽指揮者。長年ボローニャに定住していたが、1948年にシエナに居を移した。作者は戦時中にも爆撃を避けて、シエナに疎開したが、その時よりシエナ市マンドリンオーケストラの指揮者A.ボッチと親交を結び、のちに本曲を贈っている。作者のマンドリン曲は本曲の他に、「チャルダス」「サハラ砂漠の駱駝隊」があり、各々1940年並びに41年にシエナで行われた、マンドリンオーケストラ作曲コンクールで入賞している。又、これより先に、1925年から26年にかけて、スイスのマンドリニズモから「セレナータ」「序曲」「ノスタルジア」「マズルカ」「クワジ・ミヌエット」「アルプスの唄」等が発表されており、このうち幾つかは本邦にも紹介されている。マンドリン曲以外の作品も多岐にわたり、代表作には三幕からなるオペレッタ「ヤンキー」、管弦楽の為には「古典組曲」「ボッカチオ風組曲」「抒情的間奏曲」「神秘的間奏曲」等がある。また「ジャズ編成法」なる著作もある。(以上は、石村隆行氏のイタリア滞在中の調査に拠るものである)

 本曲の舞台であるシエナ市(Siena)はイタリア・トスカーナ州シエナ県の県庁所在地。12世紀から13世紀にかけて、金融業や商業を主として繁栄し、近隣のフィレンツェとトスカーナの覇権を争った。現在のシエナ市は金融都市であると共に、美しい中世の街並を残した街として、世界より観光客が訪れる観光都市でもあり、1995年には「シエナ歴史地区」が世界遺産に指定されている。
 シエナの街(の内、前述のシエナ歴史地区)は17の町内会(Contrada=コントラーダ)に分けられている。このコントラーダ対抗の競馬競技が本曲で描かれている「Il Palio(パリオ)」である。毎年2回、7月2日と8月16日、裸馬に跨った騎手が、街の中心であるカンポ広場に土を敷き詰めた馬場を3周する競馬競技を行っている。本競技は優勝すること以外には全く意味は無い。優勝旗「パリオ」を目指しての、その熱狂ぶりは我々には計り知ることの出来ない。パリオはシエナの人々の生活に溶け込んでおり、シエナの人々は「パリオをやるのではなく、パリオを生きるのだ」と語ると言う。
 なお、本曲原題の「Senese(セネーゼ)」は「(生粋の)シエナっ子」の意味。世界中のどこの国に暮らしていようとも、パリオが近づくと落ち着いていられず仕事も手につかず、自らのコントラーダの勝利を願って止まないような人のことを言う。従って、本曲においてチェルライは、シエナと言う街を描いたと言うよりは、祭りの日のセネーゼ達と言う群像を描いたと考えられる。もっとも、チェルライはセネーゼでは無い為、熱狂から距離を置いた客観的な視線で、本曲を描いているように思える。

1.祭りの日の街の賑わい
 競技に先立ち、各コントラーダ毎に、甲冑を着た騎士、綺麗に装飾された馬、旗振り隊、旗持ち隊、鼓笛隊が、県庁前からシエナ大学を通り、カンポ広場へと向う。それを見る人々で溢れる路地。どこかで、コントラーダ間の小競り合いがあったようだ・・・

2.ロマン的挿入曲
 セネーゼに非ずのチェルライが、それでもやはり興奮は隠すことの出来ない中でのシエスタ。そこで見た、浮遊感漂う「夢」。

3.パリオ(競馬競技)
 熱狂する人々。馬達の蹄の音。荒々しくぶつかり合い、相手を妨害しつつ、誰よりも早くゴールしようとする、コントラーダの代表たる騎手達。ふと見上げれば、トスカーナ特有の、雲一つ無く澄み切った、広く青い、空。


参考資料:同志社大学マンドリンクラブ第129回定期演奏会パンフレット

第34回定期演奏会より/解説:えぞ


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